やってしまいました・・・
バイクではなく車で走行中、原付の進路を妨害してしまい、その原付を自車側面に衝突させてしまいました。
幸い相手にけがはなく物損事故で済んだものの、場合によっては取り返しのつかないことになるところでした。
二度とこのような過ちを起こさないよう、しっかりと事故の原因を追究し、反省したいと思います。
このブログはツーリングブログなので、読んで下さる方のほとんどに関係のある内容になると思います。
反面教師にして頂ければ幸いです。
1.事故状況と被害状況
1-1)事故状況
9月26日(水)夜7時頃。私は車を運転してある店に食事に向かっていました。
辺りは既に暗く、さらに雨が降っており視界は良くありませんが、そんな意識は一切なくいつも通りに運転していました。
そして目的の店が視界に入ります。
その店は道路の右側にあります。つまり右折して入ることになりますが、対向車線は軽く渋滞していました。
ウィンカーを出すと、対向車の1台が駐車場入り口の手前で止まってくれました。お礼代わりに手を上げて、何も考えずに右折します。
そして、白線の外側を通行してきた原付の進路を妨害し、その原付を自車側面に衝突させてしまいました。
ぶつかった瞬間、思わず馬鹿野郎と呟いてしまいました。
馬鹿野郎は私です。
1-2)被害状況
本当に幸いなことに、私も相手も怪我はありませんでした。
それだけが唯一の救いですが、相手の原付や私の車はそうはいきません。
1-2-1)相手の原付
写真はありませんが、フロントカバーが砕け、バラバラに散らばっていました。また、フロントフォークが曲がったようで、前輪が回らず自走不可となっていました。
修理代は約3万とのことです。
1-2-2)自車
助手席のドア前方が大きく凹み、ドアが30cmほどまでしか開かなくなりました。
修理する気は無いので修理代は調べていませんが、かなり古い車(2002年式の軽自動車。2012年に約30万円で購入)なので、おそらく車の時価よりも修理代の方が高くなるでしょう。
2.事故の考察
この事故がどうして起きたのか。その原因について考察します。
2-1)サンキュー事故
私は原付の存在に全く気付いていませんでした。
「危ない!」と思う暇すらなく、ぶつかって初めて原付が来ていたことに気付いたことになります。
その時の環境は、夜間、雨天、そして原付が対向車の陰に隠れていたこともあり、非常に視界が悪かったと思います。
が、本質的な原因はそこではありません。
なぜ私は、視界が悪いにもかかわらず安全確認を怠ってしまったのか。
これはいわゆる、典型的な “サンキュー事故” です。
事故直前、私は曲がるために路上で停止しており、後続車を待たせていました。その為「早く行かなくては」という微かな “焦り” があったと思います。
そして対向車が道を開けてくれたことでホッとし、何も考えずに急いで右折して駐車場に入ろうとします。
本当なら、対向車の前で一度止まり、バイクや自転車、歩行者などが来ていないかを確認するべきでしたが、「やっと行ける」という “安心感” からかそれを怠り、事故に至りました。
今回の事故の原因は、この “焦り” と “安心感” であると言えるでしょう。
2-2)法的な落ち度と過失割合
今回の事故では、お互いに保険は使わないと話し合いで決めましたので、過失割合も提示されていません。
ネットで調べたところ、サンキュー事故の過失割合は 車:バイク で8:2、もしくは7:3になることが多いようです。(状況によっては6:4等もあります)
バイクが路側帯を通行していたら7:3になるかと思われますが、今回の場合は判断が難しいです。
下の写真は実際に私が事故を起こした現場を、原付の視点で撮影したものになります。
私は右の車線の奥から来て左の駐車場に入ろうとしており、原付は写真の中央、白線の左側を走っていました。
路側帯は歩道なので車両の通行は不可ですが、今回原付が走行している部分は路側帯ではありません。
左側に列記とした歩道があるので、この白線は “外側線" と言い、車が走る位置の目安を示すだけのものです。
つまり、外側線の外側も車道であり、走ること自体は何の問題もありません。
このことに、納得いかないという車の運転手の方もいるかもしれませんが、現状はこれがルールです。
安全確認を怠った私(自動車側)が加害者であり、相手の原付は被害者です。
強いて言えば、相手の原付は “すり抜け” をしていたので、そこが議論の的になるかと思います。すり抜けについては後述します。
過失割合についてはこちらのサイトで分かりやすく解説されています↓↓
3.バイクの「すり抜け」という危険走行
私は今回はたまたま車に乗ってましたが、普段の移動手段はバイクです。すり抜けをすることもありました。
今回の事故で、私はバイクのすり抜けの怖さを痛感しました。
車から見たバイクのすり抜けは、“思いも寄らぬ場所を走っている” のです。
現に私は予測できませんでした。自分もバイク乗りであるにもかかわらずです。
すり抜けに関わる事故は、きっとバイク乗りがどれだけ高い技量を持っていようと関係なく、周りの車の運転手の技量と意識に大きく依存します。
3-1)「すり抜け」は合法か
そもそも、道路交通法に「すり抜け」という単語はありません。つまりすり抜けについて記載された法律はないのです。
詳細は他に詳しく書かれたサイトが沢山ありますのでここでは割愛しますが、すり抜け自体が違法・違反とされることはないようです。
ただし、状況によって左側からの「追い抜き」や「割り込み」等の違反となる場合があります。路側帯の通行も違反です。
法律の観点からみたすり抜けはかなりグレーです。できるのであれば、やるべきではありあません。
状況によるすり抜けの違反判断はこのサイトで分かりやすくまとめられています↓↓
3-2)「すり抜け」の危険性
すり抜けを原因とする事故は以下のような例があります。
これらの事故を、バイク側の技量と意識だけで果たして全て防げるのか、ということを考えてみてください。
(例1)
道路左端を走行中、右折車と衝突(サンキュー事故。今回私が起こしてしまった事故)
右折車から見たときに、バイクは対向車の陰に隠れて見えない場合が多い。
(例2)
道路左端を走行中、左折する車に衝突(巻き込み事故)
車から見たときに、バイクはミラーの死角に入っており見えない場合が多い。
(例3)
渋滞の左側を走行中、突然車の助手席や後部座席のドアが開き、衝突。
子供等、安全への意識が低い人が開ける場合も多く、場合によっては人身事故にもなりえる。
どうでしょう。特に例3などは、防げる人間などいないと思います。
3-3)「すり抜けしない」は可能か
すり抜けは、上記のように非常に危険ですので、当然するべきではありません。
バイク乗りが安全運転をするためには、まずは「すり抜けしない」というのが大前提になります。
しかし、それを完璧に徹底することなんてできるのでしょうか。
例えば真夏の炎天下での渋滞。
直射日光とエンジンの排熱に焼かれながら、律義に待ち続けることができるのでしょうか。
動いていれば走行風で涼しいことを知っているのです。
真夏のツーリング中に熱中症で倒れたなんて話を聞くこともあります。
また、土砂降りの雨や急ぎの用事があるときなど。
すり抜けすればもっと早く目的地に到着できるのです。それを知っていてのんびり待っていられるでしょうか。
人間の心なんて弱いものです。
危険だからと、黙って耐えることのできる人は、そう多くはないと思います。
これは、すり抜けを肯定している訳では決してありません。
しかし、現実にすり抜けを撲滅することは不可能だと思うのです。
すり抜けはするべきではありません。しかしすり抜けはなくなりません。それをはっきりと認識した上で、どのように危険を回避していくかを考えていく必要があると思います。
4.安全運転を身に着ける手段
交通事故を防ぐために、常に安全運転を心がけましょう・・・言葉にするのは簡単です。
しかし問題は、どうすればそれを実現できるのか、だと思います。
例えば何かのきっかけで安全運転を意識し、いつもより入念に安全確認をしながら運転したとします。
それは、いつまで持ちますか?
車の運転中は常に意識し続け、それを一生続けるというのは、そもそも人間にできることではないと私は思います。
4-1)「かもしれない運転」なんて不可能
「かもしれない運転」という言葉をご存知でしょうか。
安全運転を行うための手段の一つで、「あそこの陰から歩行者が飛び出してくるかもしれない」「前方の車が突然急ブレーキをかけるかもしれない」というように、その時その時で起こり得るあらゆる事故の可能性を常に考え続けて運転することを言います。
そんなことが可能なのでしょうか。
試しに一度やってみましたが、30分と持ちませんでした。
今、私はこの事故の経験から、これまでに無いくらい安全への意識が高まっています。そんな状態でも無理でした。
ずっと気を張り続けることによる疲労感は思っていた以上に大きく、そもそも運転中に考えるべきことは他にもいろいろあります。順路とか時間とか、それらと一緒に考え続けるのは非常に大変でした。
そしてこの高まっている意識さえも、きっとすぐに風化してしまうのでしょう。
4-3)安全運転は習慣化するべき
つまり、意識して安全運転しているようではダメなのです。
何も考えてなくても、誰かとおしゃべりをしていても、焦りや安心感がある状況でもできるようにならなくてはいけません。
今回の事故の場合、原付が出てくるなんて思いもよらなかったとしても、“対向車の前で一時停止し、首を振って左右を見る” という行動がとれていればきっと防げました。
これを無意識にできるようにならないといけません。
問題は、それをどうやって実現するか。
考えるべきは、“安全運転を習慣化する手段” です。
意識が高い今の内に考え、実行するべきですが、きっと凄く難しいのでしょう。
今のところ思いつくのは、
1.安全確認するべき状況・内容を整理し、記憶する。
2.運転中、危険の有無にかかわらずに安全確認を実施し、体に覚えさせる。
3.意識を継続させるため、運転中目に付くところに記載しておく
といったところでしょうか。
例えば、明らかに危険のない一時停止線でもきちんと止まり、大げさに首を左右に振って安全確認をする。
右左折して店に入るときは、例え誰も居なくても必ず曲がる手前で一時停止して安全確認をする。
等です。
状況は無数にありますが、とるべき行動はきっと「減速する」「止まる」「見る」くらいではないかと思います。
このような行動をひたすら繰り返していくことで、安全運転は身につくのではないかと思います。
今回、事故を起こしてしまったことは大いに反省するべき私の汚点ですが、このことに気付けたことは、のちの人生に役立つ大きな成果だったと思います。
余談ですが、こういうのを “学習した” と言うのしょうか。
5.誰のための安全運転なのか
交通事故は被害者のみならず加害者も悲惨です。
今回は本当に運良く物損事故で済みましたが、もし相手に後遺症が残るような大怪我をさせていたら、もし相手を殺してしまっていたら、きっと私の人生はそこで終わったも同然だったのでしょう。
事故で相手を怪我させるくらいなら自分が怪我した方がましだ、なんていう意見も聞きますが、本当にその通りです。
他の誰でもない、自分自身のために、安全運手を身に着けていきたいと思います。